ネットの向こうに見えるもの

 ネットワークに初めて触れてから、かれこれ30年近く。最初はパソコン通信、OASYSのワープロについていた通信ソフトでニフティサーブを利用し始めました。その後オートパイロットというのをやりたくて、パソコンに買い換えました。ここのあたりの期間が10年弱。インターネットが流行り始めてからは、自分でもホームページを持つようになりました。2000年暮れから2001年にかけては、急にブロードバンドというのがかまびすしくなり、我が家もフレッツADSLを導入し、その後はケーブルTVのネット接続に切り替えました。ずいぶんネットとの付き合いも長くなってきたものです。以前から頭の中にあったネットの利用の仕方、というかネットとの付き合い方について、ちょっと書いてみたのがこの項です。

 私がパソコンを通じたネットワークと出会ったのは1988年、「ニフティーサーブ」というパソコン通信サービスでした。現在普及しているホームページのような画像や音声、ましてや動画などはなく、キーボードで打つ文章だけがコミュニケーションの手段でしたが、「料理フォーラム」というサービスの中で、幅広い年齢/地域/職業の方々との交友を得られました。飲んだり食べたりが大好きな面々と、ネット上でお店やレシピの情報をやりとりしたり、時にはパソコンの前を離れて、誰かの家に集まって鍋を囲んだり。この頃知り合った友人とは、たとえ十年ぶりに会っても昨日の続きのように話しが出来、これは自分でも不思議なほどです。
 文字だけのコミュニケーションの世界・パソコン通信で、自分でも不思議だなと思うことは「文章を読めば、書いた人の人となりが分かる」ということです。ニフティサーブ(現@nifty)では、フォーラムと呼ばれるネット上の同好会のようなサービスの中に、電子会議室というシステムがあります。インターネットで言うところの電子掲示板のような機能です。ある特定の趣味に興味を持つ人々が集い、交流し、さまざまな意見が交されます。ホームページとは違って文字だけ=文章だけに制約されたコミュニケーションですが、却って書かれた文章にその人の人柄が現れます。オフラインミーティングと称して、ネット上を離れて実際に会って交流を深めることもありますが、電子会議室で持っていたイメージは、ほぼ期待を外れることがありません。「文字は人也」とも言われますが、ネット上の発信では、ニフティで知り合った知人の言葉「文章は精神の現れ」が、しっくりきます。

 インターネットを使い始めたのは1996年。様々なホームページを楽しめるようになりました。パソコン通信では文字だけだった世界に、画像や音声が加わって、「マルチメディア」を実感したものです。1997年には、自分のホームページも開設しました。
 パソコン通信からインターネットへと手段が変わっても、私の利用目的は一貫してネットの向こうにいる人々とのコミュニケーションです。共通の趣味・嗜好を持つ友人を探そうと思っても、自分の住んでいる地域には居なかったり、身近に居ても生活のサイクルが違って顔を合わせる機会を得られなかったりします。ネットを通じたコミュニケーションは、こういった時間/空間の制約を一気に解消します。電子メールや電子掲示板を使えば、自分の都合のつく時間に、それこそ全世界どこに住んでいる人ともやりとりが出来ます。
 沖縄旅行の時には、メーリングリストで知り合った皆さんに、沖縄特産のみやげ物屋さんや観光情報を教えていただきました。沖縄そばの店を案内してもらったり、顔を合わせるのは初めての方ばかりなのに、10人もの方が集まってくださって、山羊料理の店や泡盛のバーにも案内してくれました。私のホームページに載せているオーディオやADSLの話、バーや料理レシピの紹介、入院の体験記等について、掲示板へのコメントやメールをもらうこともあります。自分の言葉を自由に発表する場を持つことも楽しみですが、こうした見知らぬ方からのレスポンスに触れることも、それ以上にワクワクすることです。

 ネットワークの利用の仕方、利用目的は人によってさまざまです。ネット社会では、実社会と同じように情報収集やショッピングなどのサービスを享受できますが、個人にとっての醍醐味は、距離と時間を超越したコミュニケーションです。ホームページの情報を見て楽しむだけでなく、電子掲示板やメーリングリストを使うことで、もうひとつのコミュニケーション社会を手にすることが出来ます。キーボードとモニターだけでは、ただの便利な道具に過ぎなかったパソコンが、ネットワークに繋がることで「もうひとつの社会」への入り口になります。それも今や、とてもお手軽にです。
 「もうひとつの社会」というからには、実社会と同じように嬉しい出会いもあるし、その反面の争いごとや誹謗中傷、ひいては犯罪行為も存在します。インターネットが普及するにつれ、便利さの反面の危険に警鐘が鳴らされることも増えてきましたが、それらも実社会で暮らすのと同じくらいの危機意識で臨んでいれば、無用なトラブルに陥ることもありません。

 今後ネットワークはますます私たちの生活に入り込んできます。すでにさまざまな家電がネットワークで結ばれ、いつでも、どこからでも利用できる「IoT社会」が始まっています。私自身もこうしたサービスを使って、便利な生活を楽しんでいきたいと思いますが、私がネットの向こうに見たいものは、携帯電話から冷蔵庫の中身が検索できたり、留守宅のペットの様子をモニターできたりすることではなく、ネットの向こうに暮らす人とのコミュニケーションでありつづけるでしょう。

2022/2/23更新
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